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「杜」の字に込めた想い

​さかたのもり の 「杜」の話

『万葉集』に「山科の石田(いわた)の社(もり)に木綿(ゆう)かけて斎(いわ)ふこの神社(もり)」という歌があります。

 


社はモリと読み、木々の繁る場所のこと、神社は神のモリを意味します。


現在では、樹木が自然にたくさん生えている場所が森、杜は鎮守の森など神社周辺のものと使いわけられることが多いのですが、かつては樹林そのものが社(もり)と表記されていました。そのうちに樹林を表す木ヘンになって「杜(もり)」となったと思われます。

神社というと、わたしたちは本殿があり拝殿があって…と建物をイメージします。みなさん、お詣りに行くと建物を拝んでいる方がほとんどですが、本来は神のモリとあるように、樹林そのものが神社だったのです。
 

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山や森を神の本体として祀り、大事にしてきた場所が「杜(もり)」なのです。

 


その場所で暮らす人々が、畏れ敬いつつも、協力しあい、長い年月をかけて守り育んできた緑豊かな場所。

森林とは「樹木がたくさんある所」という認識を超えて、多様な命が循環する恐ろしくもあり、しかし豊かで魅力的な場所という感性を取り戻すこと。

 


つまり「杜(もり)」と呼ぶ心持ちが、わたしたちの心の中にたち現れたならば、おのずと日本列島の生物多様性は、豊かさを増していくことになるのではないでしょうか。

 


そんな想いをこめて「杜(もり)」という字を使いたいと思います。

 

​坂田昌子​
 

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